2007年10月2日火曜日

眠れない

今日は、曇天。最近は、雨。
ちょくちょく出かけたが、専ら家。
サーフィンを毎日。
ネットでだけど。
旅では、6時頃には起きていたというのに、
最近は、6時頃寝ている。
人間、早起きをしたほうがいい。
田舎では、みんな寝てるし、何より街が寝ている。
水曜日に旅に再出発する。
なので、今夜は寝ず、朝方の生活に無理矢理もどす。
なので、本日のブログ、ダラダラと長くなると思う。
あしからず……。


今、ばあちゃんの部屋に行って来た。朝に寝る、僕の仕事は、寝ているばあちゃんの向きを変える事だ。車椅子のばあちゃんは、ホント痩せてしまっている。床擦れ防止の為だ。やっぱり、向きを変えようと持ち上げると、起きてしまう。最初は、ぐっすり寝ているのを、起こさない方がいいんじゃないか?と思い、やらない時もあった。しかし、おかんに『床擦れになった方が、可哀想でしょ。』と言われ、やる様になった。俺は、おかんに従う。ばあちゃんへの愛は、俺ではおかんに勝てない。僕が高校の時、ばあちゃんはボケ始めた。おかんは、そんなばあちゃんに、キツくあたる。それが耐えられなくて、言い合いになった事もあった。だが、おかんの方が断然、ばあちゃんの事を思っている事ぐらい、すぐにわかった。それからは、ばあちゃんを怒っても、何も言わない様にしている。
僕が生まれた時には、じいちゃんは居なかった。おとんは婿なので、ばあちゃんはおかんのおかんになる。じいちゃんは、おかんが高校生の時、亡くなった。小さい時は、じいちゃんがいる友達が、うらやましかった。親が共働きで、家に帰ると、ばあちゃんが居る。ホントに、優しかった。そうして育ったからか、今でもじいさんには、あまり感情が働かない。基本、ばあさんは助けるが、じいさんはほっとく。俺が、男だからかなぁ。
人生で一度だけ、ばあちゃんを怒った事がある。高校生の時だ。当時、僕はサッカーに情熱を注いでいた。藤枝という街で、夏休みにサッカーの強い大学が全国から集まり、大会があった。そこに、静岡中西部の高校生選抜が参加する。大学にとってはスカウト場だ。その選抜は、藤枝東という強豪校の選手ばかり。2年生の時に僕は、選抜に落ちた。だから、縁は無かったのだが、棚ボタが。藤枝東の選手が学校の試合を優先した為、急遽その大会に参加しなくなった。そして、一本の電話が、家にかかってきた。
その大会の数日後、家でメモを発見する。そのメモには、先に述べた大会の集合時間や、場所、詳細が書いてあった。僕はその大会には、参加していない。選抜に呼ばれた事を、終わってから知ったのだ。その電話に出たのは、ばあちゃんだった。メモは書いてあったのだが、渡すのを僕に忘れた。その時、僕はばあちゃんを怒った。物心ついて記憶にある中で、初めて怒った。怒りながら、涙が出て来たのを覚えている。チャンスが無くなったというのがある。だが、大好きなばあちゃんを、許せず怒らないといけない事に涙していたと思う。
『怒ってごめんよ、でもぅ……怒るよぉ!』
って感じだ。怒られたばあちゃんは、どう思ったのだろう?自分を責めてたら、つらいな。ボケるのはつらかったが、この事をまず忘れてほしい。
ちょっと、ばあちゃんの向きを変えてきます。


オールナイトすると決めたので、悪いですが、まだダラダラと書かせてもらいます。
僕が、音楽に目覚めたのは、先程述べた、
『ユージ、ばあちゃんを怒る』
という、事件があってからすぐだ。ブルーハーツというバンドに出逢ったというのもあるが、核心は他にある。青春の思い出に、夏休みにホームレスをしに静岡市街に行った。サッカー部のメンバーを中心に、ホント仲が良い友達7名程で。家から、静岡市街までは、バスで1時間以上ある。ルールとしては、
・お金は行きの交通費だけ
・帰りたいなら芸で稼いで帰る
それだけ。
持ち物は、芸で使うサッカーボールと、アコースティックギター。そして、その日は来た。
静岡駅に着いたのは、夜だった。着くなりお腹が減った。ので、コンビニに。もちろん、金なんか無い。もっとも、もちろん万引きなどしない。店員さんに、賞味期限切れの商品をもらうのだ。田舎の地元では、すぐくれるのだが、都会は厳しい。何店舗か諦めずに周り、夕飯ゲット。腹が満たされたので、寝床を探す。コンビニで段ボールを大量にもらい、街を歩く。さんざん歩いたあげく、小学校に決まった。今でこそ、警備が凄くて入れないが、あの頃は違った。そこで、みんなで段ボールにくるまり、少し寝た。僕は、よく家出をして近くの公園やら、地下道やら、保育園の遊具やら、橋の下やらで寝た事があったので、気にせず寝れた。そして、真夜中に起き、街に繰り出した。昼間は人が溢れる町中で、サッカーをした。泥んこサッカーと同じぐらい楽しかった。色んな人がいて、刺激溢れる時間だった。そして、女の子の集団と逢う。話を聞くと、同い年。静岡の女子校に通う子達だった。始発の時間まで、話して盛り上がった。始発の時間になると、女の子たちは帰りだす。そして、駅の近くに住む一人の女の子だけになった。そして、その子も帰り、また寝る事にした。
起きてビックリ。人が凄い。静岡駅の北口の真ん前で寝たのだ。でも、そんなのおかまいなしに、また寝た。しばらくすると、駅の近くに住む女の子が戻って来た。なんと、おにぎりを作って来てくれたのだ。間違いなく、天使。間違いなく、みんなその子に惚れてしまった。そして、ブラブラし、時は来る。
帰るお金をゲットしなければいけない。青葉公園という、メインストリートに行く。変な銅像の前に腰を下ろす。ギター2本に対し、7人の大合唱。ブルーハーツに、長渕に。聞いてくれる人、素通りの人、前においたギターケースに小銭を投げてくれる人。何時間か過ぎケースを見る。みんなが帰れる金など全然無い。話し合う。場所が悪いだとか、歌う人数が多過ぎだとか、笑顔でやろうとか。夜になり、駅の地下街に、場所を変える。小銭が入ってくる。そして、おっさん登場。見るからに酔っていて、ご機嫌だ。
おっちゃんに歌う。
おっちゃん喜ぶ。
おっちゃん財布を出す。
おっちゃん札を出す。
おっちゃん札をケースに入れる。
おっちゃんご機嫌で帰る。
おっちゃんありがとう。
なんと、福沢諭吉が入っていた。酔いが覚めて後悔したかなぁ。合計、1万6千円程に。何はともあれ、これで帰れる。しかし、楽しかった。もちろん、お金を入れて頂いた事は、楽しい気持ちを呼ぶのだが、みんなで過ごしたあの時間が楽しくて、音楽に目覚めることになったのだろう。
それから、毎週静岡に歌いに行った。今、冷静に考えると、あんなに下手でよくやったなぁと思う。知識や技術が増え、その上で自信と責任を持ち演奏するのが理想であり、プロなのだが、あのギラギラした感じは、アーティストやクリエイターと呼ばれる人にとっては、マストアイテムだろう。あの夜、『やる』を選んだ僕は、少し前までその事だけに熱中する事になったのだ。これからも、音楽は続ける。のんびりとやりたい様にやっていく。
旅の後半では、時間の許す限りギターを弾こう。久しぶりに道端で歌おう。怒られない程度に。本当に怒ってくる人いるからね。うるさくしてる人が悪いんだけど。弾き語り一人旅した時に、千葉駅でヤクザにめっちゃ蹴られたからね。その人は
『誰のシマだと思ってんだぁ!』
って。正直、誰のシマだとか考えた事無いし。どうすれば俺が、シマを狙っている様に見えるのだろう。年上の落ち着いたヤクザの人が止めてくれたんだけど。
逆に池袋では、あの人ゴミの中、一人で歌っていると、めっちゃ怖いスキンヘッドの人が頭を撫でてくれ、有り金を全部くれたり。事故って入院した時に、知り合いになったヤクザの人が、たまたま通りかかり、一緒に歌い、池袋西口公園のど真ん中で、スポーツ新聞を広げ、野宿した事もあった。
今夜、眠れないので長い文章になり、一つ思い出せば、いろいろ思い出して来て、振り返ると楽しくなっちゃいました。明日からの旅への活力となる事でしょう。
最後まで読んでくれた人、ありがとう。
お礼にはなりませんが、一緒にホームレスをした仲で、高校時代、体重48キロだった少年が、プロボクサーになり、ボディビルダーになり、もう少しで『かめはめ波』が、出るんじゃないかっていう、肉体をアップします。
やはり、人はやればすごいんだなぁ。

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