2007年11月30日金曜日

真っ赤に燃えて、落ちて咲く。


深ぁ〜い森。耳の穴に入って来るのは、森の声のみ。秘境と呼ばれる場所は、何度行っても良いものだ。

高知シティから、徳島県に入る。先ずは、祖谷のかずら橋に。葛で出来ている橋は、今までの吊り橋よりも怖い。隙間が空き空きの足元には、綺麗なブルーの水。平家の落人が、切って渡れなくする様に、葛で作ったとか。いやぁ面白いなぁ。
その後、祖谷渓に。断崖絶壁に立つ小便小僧に逢いに行く。着いて、小便小僧より周りの絶景に目を奪われる。紅葉という、未来に繋ぐ植物の行為は、森を美しく染め上げ、冬の訪れを教えてくれる。
絶景ドライブの後、脇町の「うだつの街並み」を見に行く。夜にはほんのり灯され、味のある街並みでした。

うだつをアゲアゲにしたいものです。
それでは。

2007年11月29日木曜日

闘犬なんて、嫌っ!


愛媛から高知に入る。
「日本最後の清流」と呼ばれる四万十川に行く。
ゆっくりと流れる水。
沈下橋と呼ばれる、柵のない橋。
カヌーでもやろうとしたのだが、曇天によりドライブで我慢。
翌日、坂本龍馬に逢いに桂浜に行く。
龍馬の大きな銅像が、太平洋を眺めている。
今だけなようだが、その龍馬と同じ目線で太平洋が眺めれる様に、足場が組まれていた。
幼い頃の龍馬は、この海を眺め、海の向こうを感じたのでしょう。
愛媛には闘牛場があり、桂浜には闘犬場があった。
お金が高いのと、犬の闘いがエグかったら嫌なので見ない。
その後、高知シティに向かう。

四国の至る所で、お遍路さんを見掛けます。
生きている内に、行いたい事の1つです。
最近、夜眠いです。
なので寝ます。
ほなまたね。

2007年11月27日火曜日

ラピュタ


尾道から、しまなみ海道を通り、四国は愛媛の今治に。
ついに来ました四国。しまなみ海道は、いくつもの島を橋で繋いであり、気持ち良いドライブでした。
まずは産業遺跡、別子銅山に行く。山奥にレンガ造りの大きな廃墟が…。一面グリーンな森にある遺跡。かつての活気は森に消され、崩れていたり、草木が茂っていたり。ラピュタに出てきそうなその姿は、男に生まれた僕を少年に戻してくれる。
ちょんまげの時代や、ヤリで狩りをしてた時代、それより昔の時代の自然やら建築物もいい。けど、これからは昭和だったり近代が、熱い観光スポットになってくる様な気がする。大きくこの国を発展させた昭和の産業は、未来の観光資源だろう。
そして、CMでお馴染み「宮殿のタレ」の日本食研宮殿工場に行く。見学可能な時間を過ぎていた為、外からしか見れなかったのだが、工場ではなく宮殿でした。あれは。
で、飯を食べに行く。このご時世に、信じられないかもしれないが、1カン十円の十円寿司に行く。小振りではあるが安い。
翌日、道後温泉に行く。歴史を感じる佇まいの中、旅の作戦会議。
会議終了後、松山駅を写真に撮り、宇和島経由で愛媛県の南部にある外泊という所に。ここは、港町。海風から守る為、石垣の村。海にも、山にも石垣の村はあるが、両方良いね。感心するし、感動するし、芸術です。
愛媛は、やっぱりミカン。車に居ると、君がミカンを袋いっぱい買ってきた。30個は入ってるだろうか。しかも、100円。
「安っ。」
宮殿工場。

2007年11月26日月曜日

194508060815


広島シティに行く。広島駅を写真に撮り、そして、平和記念公園に行く。
見れば見るほど、知れば知るほど苦しい。
原爆ドームの前に立ち、青い空も痛くなる。
社会のシステムが出来上がり、マニュアル化されている事につまらなく思ったりしたが、昭和という時代が作り上げた「今」は、愛しいモノであり、守っていくモノでもあり、発展させていかなくてはいけない気がした。
アメリカのコンバースや、イギリスのフットボールは、僕が生まれた時にはもうあった。アフリカの動物はお出掛けすれば見れて、テレビをつければ中国のキョンシーで楽しんだんだ。
高校生が修学旅行で沢山いたが、どう思ったのだろう?若者が学ぶのは、戦争をしてはいけない事だけでいい気がする。戦争をしてない若者が、アメリカに負けた訳でもなく、中国に悪い事をした訳でもない。
なので逆に言いたい。中国のヤリスギに対して。中国のじいさんが恨むのはしょうがないが、中国の僕達の様な人が日本を恨むのはおかしい。時代遅れだ。
国際問題は難しいと思うが、戦争を知った上で、戦争をしてない、世界中の若者が何とかしてくれるでしょう。
ウダウダ書いてしまったが、広島、長崎に行けば、いろんな想いが込み上げる訳で。
平和記念公園のベンチでタバコを吸ってると、隣でホームレスが寝だしたので、
「ここで、寝るな。この公園で寝るなら働いて花束持って、キチッとした格好で寝な。」
と言いかけたが、自分も働いてなく、花束も持って来てなければ車で寝てる。ので、聞こえる様に、
「平和やなぁ。」と言ってみた。
オッサンは寝たまま、無言。もう少し大きな声で言う。
「あぁ、平和やなぁ。」
寝ているオッサンを見ると、目が光っていた。
あくびをしたのか、涙の理由はわかりませんが、青い空に感謝した、暖かな休日でした。

2007年11月25日日曜日

清盛のセンス


下関から山口に。
山口駅を写真に撮り、オイル交換に。
この旅での走行距離が、2万キロを越えた。
どれだけ走るのでしょうか?
湯田温泉で温まる。
翌朝、たまった洗濯物を片付け出発。
R2をひた走る。
で、フェリーに乗り込む。
世界遺産、安芸の宮島に到着。
朱色の大鳥居が、徐々にハッキリと見えてくる。
沢山の鹿に迎えられ厳島神社に行く。
着いたのは干潮後だった為、大鳥居まで歩いて行けた。
神社も朱色で、バックの山の緑と仲良し。
中では、結婚式が行われていて、しばし見学。
その後、宮島をブラブラし、紅葉まんじゅう等を食べてお茶をする。
再度、厳島神社に行く。
大鳥居は海の上に立ち、厳島神社の足元も海。
ライトアップが始まり、徐々に上がる水面を待つ。
海の上の朱色の厳島神社は、やっぱり良かった。
それでは。

2007年11月23日金曜日

ほな。

大分をちょくちょく寄り、福岡に戻って来た。
九州を一周した。
北海道で「ジェームス・ディーン症候群」という傷心病にかかっていた兄ちゃんが言っていた。
「俺は、北海道より九州の方が好きだ」と。
夏の北海道は素晴らしく、今でも心の奥から込み上げて、脳ミソを揺らしてくれる。
九州も、本当に最高だった。
土地には土地の、季節には季節の良さがある。
九州最後の夜、博多の街に改めて行った。
名物のもつ鍋を食べ、1ヶ月弱いた九州を振り返る。
翌朝、フグが口を開けていたので入る。
本州に戻ったのだ。

足のつま先から長い髪の先っぽまでの細胞フル稼働で、心を込めまして言います。

「サヨナラ九州。本当にありがとう。」

喜多別府投手


湯布院にて、昔ながらの温泉に。すっかり温まり、車で寝る。
朝、めっちゃ寒い。−3度。この旅始まって以来、初めて弱音を吐きそうになる。そして、山から逃げる様に海の方へ行く。
大分駅を写真に撮り、別府に向かう。街の至るところから、湯煙が。
「地獄巡り」に。8つの個性ある温泉を巡るモノで、非常に楽しい。
湯の色が赤い「血の池地獄」や、勢い良く吹き出る間欠泉「龍巻地獄」、湯が青い「海地獄」等がある。温泉の熱を利用して様々な熱帯植物や、熱帯魚、ワニ等も飼っている。地獄巡りは、かなりお勧めです。
そして、足湯で今後の計画を立てる。
この旅も、あと1ヶ月程。帰ったら、パパッと職を探して新しい年を迎える。そう先の事を考えれば、より今を楽しむ力が出てくる。

足湯で靴下を脱ぎマッタリしてました。ソコには老若男女問わず、沢山の人がいました。皆さん靴下を脱ぎ、ズボンを捲り、足を入れる。

「人生とは靴下の様なモノである。長い人もいれば、短い人もいる。穴があいてる人もいれば、頑張り過ぎか?擦りきれている人もいる。見えないソコには様々な個性があり、そして何より儚い人もいる。」

ほなまたね。

2007年11月21日水曜日

ドライブ

「道」。ただ番号だけではなく、名前が付いている道もある。天気、テンション等の影響はあると思うが、走っているだけで、最高な道がある。

「流れる景色を泳ぐのだ。」

高千穂から阿蘇山に向かう。2週間程前にも来たのだが、素晴らしさを忘れる事など出来ず、車を走らせた。
何度走っても気持ち良かった。別世界がそこにはあり、目玉が喜ぶ。
阿蘇山、菊地渓谷、九重と行き、湯布院がゴール。もう最高。

今日虹を見ました。2本を一度に。1つは薄くぼんやりで、途中で切れていたのだけど、もう1つはハッキリと7色が見えて、180度の綺麗な弧を描いてました。ラッキーを感じ、寝るとします。
ほなまたね。

2007年11月20日火曜日

高千穂


八百万の神。山には神様がいると言うが、ここに着いたのは夕方。稜線を境に光と、黒。薄く白くモヤがかかり、神々しく映る。大きな橋の上に立ち、遥か下の川や周りを見渡し、深呼吸をし大きく頷く。高千穂にやって来たのだ。
山の朝は寒い。が、清々しい。ホウロウのコップに入れたコーヒーは、白い息に合い美味しい。
まずは、天岩戸神社に向かう。神話の街、宮崎でも高千穂は、それにちなんだ場所が多い。天照大御神が隠れた、天岩戸を拝ませてもらい、天安河原にて心を伸ばす。
そして、やっぱり高千穂峡。真名井の滝等、多くの見所があり、よか所でした。
国見ヶ丘にて、雄大な山々を眺め、街に戻り飯を食べる。何か賑やかな音が聞こえてくる。サルタフェスタという、音楽の祭りが行われていた。音楽はもとよりダンス、大道芸、伝統的なモノまでもあり、日が暮れるまで楽しませてもらいました。
地鶏も食べたし、猫はなついてくれないし。天岩戸温泉に行き、天孫降臨を想像しながら眠りにつき、宮崎の旅は終わったのでした。

2007年11月19日月曜日

予想外


日本は島国。長い年月をかけ、築き上げたそれぞれの「海」は、そこに生まれてきた人達へのプレゼント。
日向岬に行く。波により十文字に削られた岩。さけるチーズをさいた様な崖。岩と波が喧嘩をしてるのか、仲が良いのか分からないが、目に映るナイスビューは、プレゼントとして戴きます。
その後、大分のナイアガラと呼ばれる、原尻の滝に行く。トトロの森と、猫バスが停まるバス停にも寄る。地名がトトロなのか分からないが、サツキとメイとトトロと猫バスが居た。
再び宮崎県に戻り、日之影に行く。石垣の村があり、そこを目指す。誰も通りたくない様な、細くて長い山道を通る。台風の影響を受けていて、崩れている箇所も多い。初めこそ、遠回りしてでも国道で行けば良かったと思ったが、だんだんそれが消えて行く。渓谷に沿い、道は進む。透き通る川の水と、自然のトンネル。しかも、紅葉がいい感じ。本当に綺麗。予想外の絶景に感謝。
石垣の村に到着。山の斜面沿いに石垣で、家やら、畑やら、田んぼやらがある。7世帯という小さな村。どうしても全景が観たい。ばあちゃんに聞く。
「何処から見ると、村全体が見える?」
「見えないんだぁ」
と。というのも、村は渓谷というか、川沿いにあり、向こう岸からしか村全体が見えない。で、先程書いた台風により、向こう岸に渡れる2本の橋が流されてしまった様だ。楽しみだったのにィ。こちらも予想外。まぁしょうがない。
そうして暗くなる前に、山道から脱出したのでした。
予想外が、喜びであります様に。
ほなまたね。

2007年11月18日日曜日

叫び


ホテルには、「読売ジャイアンツ歓迎」の文字。しかも今年は、野球日本代表も。あの球場に、星野仙一がいる。そう思うと、興奮してきた。さぁ、宮崎を楽しむ。
青島という小さな島がある。橋が架かっているので歩いて行ける。青島は、南国な植物が沢山。何より、「鬼の洗濯岩」という、波に削られて出来た、アートがある。自然の力を改めて感じ、波乗りビーチが地元とダブりつつ、宮崎シティに再び戻る。
君の頭には、食べ物の情報がしっかりと、インプットされている。「おぐら」というチェーン店に行く。ここは、チキン南蛮発祥の店の様だ。普通に美味しい。その後、宮崎駅を写真に撮り、あの人がいる所に向かう。時の人、東国原県知事がいる県庁に。観光バスが、ロータリーに窮屈そうに入っている。凄い賑やか。県庁内も見学出来る。知事には逢えなかったのだが、ガードマンのおっちゃんに、
「知事いるの?」と聞くと、
「多分、いるよ。多分、仕事やってるんじゃないか。多分、その内出てくるよ」と。
ガードマンがそう言った途端、おばちゃん達が、「知事ィ!」と叫ぶ。
「……。」
その後、西都市の古墳群に行く。でっかい古墳の周りには、畑やコスモスが綺麗に咲き、青から赤に移り行く空には鰯雲が泳ぐ。
そうして、この日は終わったのでした。

ここ数日の画像はその内アップします。
明日が、皆さんにとって素晴らしい1日であります様に。
ほなまたね。

2007年11月16日金曜日

南国の罠

ブルー。海も空も。白いビーチに、波乗り。道の脇にはヤシの木が整列。
宮崎入り。あたたかい。
まさに南国です。
それらの南国なメンバーに誘われ、裸足になりヤシの木によじ登る。が、滑るし痛くて中々登れない。
日南海岸を、ナイスミュージックと共に北上。宮崎シティに入る。お土産屋、商店街、飲食店、観光地、そしてテレビ。至るところに知事がいる。
この日は、あまり回らず映画を見た。
「三丁目の夕日」を。
心温まっちゃいました。
映画を見てる時や、ぶらぶら歩いてると、何か足が痛む。映画のラストで真っ赤な夕日が街や人を包む。夜、温泉で靴下を脱ぐと、真っ赤な血が足の裏を包む。
「……。」
良く見ると、トゲの様なモノが沢山刺さっていて、猫に引っかかれた様になっている。
裸足でヤシの木に、勢い良く登った時、傷を負ったのだ。
針と毛抜きで綺麗に抜き、ホッと一安心。
「裸足で登るか、普通。」
と、怒られた。
「だって、南国(なつ)が誘うから!!!」

2007年11月15日木曜日

グッバイ鹿児島


桜島。というか、長渕剛の桜島5時間ライブの桜島。鹿児島市街のイオンショッピングセンター鹿児島店から、夕方、ピンク色に染まる桜島を見た。雄大で哀愁漂うその姿に、
「イオンショッピングセンター桜島が眺めれる店」
にすればと言ってみた。その桜島に行く。垂水の道の駅に世界一長い足湯がある。桜島は目の前。ので、足湯に浸かり、さつま揚げを食べながら、桜島を見る。ぽかぽか陽気でのんびり気持ちいい。その後溶岩道路を走り、展望台に。活火山なので煙が出てる。
そして、佐多岬まで一気にドライブ。綺麗な海が車を止める。佐多岬手前で看板発見。
「宗谷岬まで2700km」
「……。」
日本最北端の地やん。遠いのだけど、数字で2700kmと書いてあると、なんだそんなものかと感じてしまう。
北海道を思い出しながら、佐多岬から花瀬の千畳敷に。花瀬川の底が自然の石畳になっていて歩ける。春は花見の名所の様だ。広く、長く続いているので、走り回ってしまった。桜の季節にまた来たいわぁ。
夜、道の駅に着く。ご飯を作るパワーも無く、近くのラーメンと、豚カツの店に、「どんな組み合わせだ」と思いながら入る。黒豚の豚カツもラーメンも安くて上手い。しかもメニューには、
「焼酎150円」
と。安すぎ。チェーン店でもあり得ない値段。運転があるので飲まなかったが、道の駅に戻り風呂に行こうとすると、おばちゃんが来た。
「兄ちゃん、焼酎飲むか?」
「いただきます。」
しばし、宴。夜もまだ暖かく、何より酒が上手い。焼酎の安さと、焼酎を車に積んでる人が多い事にびっくり。
鹿児島には、屋久島に行った事もあり、10日程お世話になった。気候も暖かけりゃ、人もあたたかい。よか所。
ありがとう、鹿児島。
「グッバイ、鹿児島。」

2007年11月14日水曜日

紅葉と楓


鹿児島市街に戻り、駅を撮影。
その後、蒲生の大楠に。
こちらは、日本一の大樹。
8畳分の穴が開いている。
僕に純粋な心があれば、トトロが現れそうです。
縄文杉をはじめ、屋久杉、ヒメシャラ、モミなど、木に魅せられてます。
そして、鹿児島の英雄、西郷さんに挨拶し、霧島に行く。
ここで問題です。
日本で最初のハネムーンをした人は誰でしょうか?
答えは、「坂本竜馬と妻おりょう」だそうです。
霧島に新婚旅行に来た様で、記念碑が立ってました。
霧島、えびの高原、生駒高原をドライブ。
紅葉も良い感じで、鹿にも逢え、秋の匂いを楽しんじゃいました。
紅葉と楓は同じだと思っていたのですが、切り込みが深いのが紅葉で、切り込みが浅いのが楓だそうです。
「紅葉の中で切り込みが一番浅い物と、楓の中で切り込みが一番深い物ではどうなの?」
って思ったけど、紅く色付いた彼らに目を奪われ、「んな事どーでもいいや」と、温泉に入り、眠るのでした。
ほなまたね。

2007年11月13日火曜日

裸の付き合い


屋久島から鹿児島に戻って来た。あの小さな島は、最高だった。ので、どこか喪失感。満天の星空に寝かせてもらい、絶好調な太陽が迎えに来た。
指宿に。浴衣をわたされ、裸でそれを着て、砂浜に連れてかれ、寝かされ、おばちゃん達にスコップで、砂をかけられ埋められた。
いじめられてる訳では無く、事件に巻き込まれている訳では無く、砂風呂に行ったのだ。最高に気持ち良かった。
砂を落とし、サウナに行く。するとおっちゃん達が盛り上がっていた。どうやら、焼酎の話だ。僕は、焼酎が大好き。しかも、芋が一番好き。鹿児島のというか、薩摩焼酎と言えば、コニャックやスコッチとかと同じく、ブランド登録されている。有名な焼酎は、美味しいし、何せ高いのだけど、おっちゃん達は地元のみぞ知る話をしていた。
言葉がイマイチわからず、砂風呂の後のサウナでフラフラしてたので、話半分で聞いていたのだが、
「笠沙」という地名と、
「すんくじら」という焼酎の名前はしっかり覚えていた。サンキューおっちゃん。
早速、笠沙に向かう。枕崎より西。結構遠い。なんやかんやで到着。焼酎博物館があり、売店がある。
「へぇ、焼酎はシルクロードを通って伝わったんだぁ」
と、少し勉強し売店に向かう。
出入りが激しい。しかも、出てく人、同じ焼酎を持っている。
「一どん」
という焼酎を皆さん買っている。早速、
「一どん、下さい」
と言う。
「こちらは、当選した方だけの販売となりますので…」
「がっ、ガーン…。」
数に限りがある為、毎月抽選で、当選の方に売っている様だ。
「すんくじら」と「黒瀬杜氏」という焼酎も有名で、ここでしか買えない。黒瀬杜氏は売り切れで、すんくじらは四合瓶しか無かったので、一どんに賭け、その場で葉書をしこたま買って、書いて応募した。
鹿児島はスーパーにも、芋焼酎の種類がめっちゃある。知らない銘柄ばっか。本場やねぇ。
本場の人が上手いと言い、笠沙の地でしか買えない焼酎。
「どうか正月には、一どんが飲めます様に。」
君が「すんくじら」の四合瓶を買ったので、ハズレたらお裾分けして貰おっと。
ほなまたね。

サファリ


屋久島滞在3日目。
屋久島をぐる〜り一周する。
がじゅまる園で、初めてがじゅまるを見て、ちょっと感動。
いなか浜の白いビーチに、青い海で遊ぶ。
その後、西部林道に。
屋久鹿、屋久猿のホーム。
サファリパーク状態。
可愛さに微笑んでしまう。
落差88メートルの大川の滝、雄大な千尋の滝に魅せられる。
入りはしなかったが、干潮時に現れる温泉を覗き、安房に寄り宮ノ浦に戻る。
小さな島に、大自然が詰まっていて、エンジョイ、エンジョイ。
スズキの軽自動車をレンタルしたのだが、そのスズキの店は、レンタカーは勿論、全てスズキの車。
店員さんも、スズキの服をちゃんと着ているのだが、送迎用の車は2台とも、トヨタのエスティマだったので、めっちゃ突っ込みたかった。
宿に帰り、洗濯をし、風呂に入る。
ビールを飲みながら、テレビを見て、泊まっている方達で盛り上がる。
「まだまだ、この島に居たい。」
屋久島滞在4日目。
迷ったが、帰る事に。
後ろ髪引かれ続け、髪の毛がすっかり伸びてしまった。
朝8時過ぎ、フェリーに乗り込み、鹿児島に帰ったとさ。

2007年11月12日月曜日

森の守り神

屋久島滞在2日目。縄文杉に逢いに行く。朝4時に起き、喧嘩しながら登山口に到着。これから起こる素晴らしい時間と、素晴らしい光景の為に、つまらない事は忘れ、入り口で仲直りする。そして、いざ出発。
往復9時間弱の夢の様な旅。様々な歴史的事実からだけでは無く、宗教的観点からでも無い。この森に入り、深い森の中で確信した。
「神は存在する」。
彼は、深い森で待っていた。ずっとその場所で、直向きに生きてきた。
他にも見所一杯で、最高でした。
今回は言葉少なく、画像をいくつかアップします。
ほなまたね。
トロッコ道を2時間以上歩く。

大きな切り株、ウィルソン株。中に入れる。

ウィルソン株の中。ハートに見える。

縄文杉。

2007年11月10日土曜日

もののけ

屋久島滞在1日目。
朝7時に、フェリーは宮ノ浦港に着き、宿まで歩く。宿は普通の民家。荷物を置き、少し休憩。用意して戴いた弁当を受け取り、バスに乗った。行き先は、
「白谷雲水峡」。
ジブリ映画、「もののけ姫」のモデルとなった場所。
屋久島は、「1ヶ月に35日、雨が降る」と、言われている。
宮ノ浦の街から、そんなに遠くないのだが、街は雨など降る気配は無かったのに、山に入った途端、雨が降りだした。宿のおばちゃんの言葉を思い出す。
「白谷雲水峡は、雨の方が良いから」と。
カッパを着て、森に入る。大きな岩場を、大きな音を立て、川の水が走る。大木の緑の葉っぱ達が、雨を優しく届けてくれる。うねる樹皮が潤い、苔を着る。歩き始めて、数時間。屋久鹿に導かれ、もののけの森に到着。
緑一色の世界。
「こんな所があるんだぁ」。

その先の太鼓岩、弥生杉など、行ける所は全部行き、びしょ濡れになりながら、大満足で入り口に帰る。が、バスがちょうど行ってしまい、次まで2時間弱ある。寒い。ここで人生初のヒッチハイク。地元の小学校の先生と、その息子さんが乗せてくれ、風邪をひかず無事に宿に到着。ありがとうございました。
生きる喜びと、パワーを戴いた1日でした。
この島、ヤバすぎる。

2007年11月8日木曜日

ハイビスカス

鹿児島での雨の2日間、バカでかいイオンのショッピングモールをぶらぶらしたり、アンネとホロコースト展を見に行ったり、道の駅でネットサーフィンしたり。
そんな時間を過ごし、フェリーに乗った。
メインイベント、屋久島に行くのだ。
一番安いフェリーを選んだ。
その名は、
「ハイビスカス」。
見た目は、南国をかんじませんが、そんな事はさておき乗り込む。
夕方の6時に出港。
種子島を経由して、翌朝7時に屋久島に到着する。
遅くても、揺れても良いのだ。
屋久島が待っている。
ほな。

2007年11月7日水曜日

雨があがり、めでたい

阿蘇から熊本に戻る。
その途中、警察だらけ。
おまけに、沿道には日の丸を振る沢山の人達。
アンド、黒塗りの車。
只ならぬ雰囲気に驚きながら進む。
「多分、皇族が来ている。」
次の日、皇太子様が来ていたのだと知る。
そんな事もありながら、熊本市街に戻り、天草をドライブ。
で、ちょくちょく寄りながら、鹿児島までロングラン。
鹿児島に着いてから、2日間、雨。
その雨があがり、動き出す。
そこに、めでたいニュースが飛び込んでくる。
僕がこの旅で知り合った、山梨の大ちゃん、きよこ夫妻に宝が生まれたとの事。
少し前には、埼玉のイカちゃん、星っぺ夫妻にも宝が生まれ、めでたい限りです。
この場を借りまして、心からおめでとうございます。
それでは、新しい命と皆さんにとって、明日が素晴らしい1日であります様に。
ほなまたね。

2007年11月6日火曜日

プレゼント2


九重から、阿蘇山に。
阿蘇山、中岳は活火山。
火口を見に行く。
蔵王のお釜、白根山の湯釜と、覗かせて戴いたのだが、火口は初なので胸踊る。
阿蘇山を登るにつれ、またもや景色が変わる。
素ん晴らしすぎる。
馬、牛も、この大自然に喜んでいるのだろう。
だだっ広い草原の草千里。
火口付近の砂と岩が広がる、砂千里。
そして、火口。
火口は、有害ガスが発生するので、立ち入り禁止の日もある。
ラッキーな事に問題無く、ナイスビューを戴いた。
メロンオレが、グツグツと音をたて、モクモクと煙を吐き出し煮えてました。
この日も、ナイスビューをたっくさんプレゼントして戴き、最高でした。
山は良か。

2007年11月5日月曜日

プレゼント


武雄から、筑後川を渡り、柳川に寄る。足湯で計画を立て、熊本入り。大津にて、熊本名物の「いきなり団子」を、君が食べ、阿蘇に向かう。山を登るにつれて、景色が変わる。
黄金のススキが風に揺れ、何処までも広がる。独特の地形と、秋晴れが最高のドライブをくれる。
展望台に寄る。景色で泣いてしまった。様々な景勝地に行き、息をのむ絶景の度、
「これ来年の誕生日プレゼントだから…」
とか言って、ケチろうと企んでいるのだが、今回はそんなつまんない事言わずに、ただ見とれてしまった。
日本ではない様な場所。
その後、紅葉の名所である、菊池渓谷に行く。が、まだ赤くなってはいなかった。でも、綺麗な水と、苔に抱かれた岩や木が美しい。駐車場のおっちゃんが中旬には、良い色になるからおいでとさ。
僕は紅葉を見に行った事が無い。ので、行こうと思う。
夕方には、南小国町に入った。こちらも、「日本で最も美しい村」連合の1つ。しかし、寒い。車の温度計は4度。高地な為、一気に寒くなった。
翌朝、濃い霧の中、震えながら朝食を食べ、出発。九重に向かう。先ほど、紅葉を見た事が無いと言ったが、この九重は寒い為、見頃。よって、初紅葉。本当に綺麗。
「やまなみハイウェイ」
と言う、小国から大分の湯布院までの道があるんですが、素ん晴らしい世界で、ごっ機嫌なドライブでした。
前は、君が
「わぁ、綺麗」
と言うと、
「これ、来年の誕生日プレゼントだから」
と言い、
「やったぁ、ありがとう」
と、ノってくれたのに対し、最近では、
「これ、3年後の誕生日プレゼントだから」
と、逆に言われています。二人共、ケチになりつつあります。
しかし、君という人は切り捨てる人なんです。何を切り捨てるかと言うと、例えば大勢で飲みに行ったとします。君は、会計役を率先してやります。と言うか、僕がやらせます。で、割勘の金額の端数を、君は切り捨てるんです。二人の時もそうなんです。この旅でも、請求される金額の端数が、いつも無いんです。
ので今日、
「切り捨てるんじゃない」
と、言いました。
「一体、お前はどれだけ、切り捨ててきたんだい?」
と。
「たまには、切り上げても、いいんじゃないか?」
と。
「俺なんか、毎回、切り上げてるぞ」
と。
それでも、切り捨てる君を、私は切り捨てたりしない。
むしろ、切り上げて行こう。
寝ます。

2007年11月4日日曜日

地雷を踏んだら…

「地雷を踏んだら さようなら」
という、映画がある。
浅野忠信が主演で、実在の戦場カメラマン、
「一ノ瀬泰造」
を演じている。
長崎県を一周し、佐賀の武雄に戻って来た。
この武雄は、先の一ノ瀬泰造の故郷。
26歳の若さで、亡くなってしまったのだが、生誕60周年という事で、写真展が開かれていた。
ソコに行きたかったので、戻って来た。
「僕自身が、シャッターなんだ」
と、戦火のベトナム、カンボジアでシャッターをきり続けた。
クメール・ルージュの手中にあった、アンコールワットを撮るべく、兵隊にまじり、武器を持たず、カメラを持って進んだ。
死体を見ても、涙が出なくなった彼が、解放された捕虜達が、形振り構わず喜ぶ姿に、号泣したそうだ。
戦場であっても、笑みと喜びはある。
彼の写真は、それに満ちていた。
勿論、目を覆いたくなる写真もあったが、彼の命ソノモノの写真を、見る事が出来、大変嬉しかった。
彼は友人に、こう残し、行く。
「地雷を踏んだら さよならだ。」
地雷が埋められた大地と、砲弾が飛び交う空。
武器を持たず、カメラ片手に彼は行く。
彼は、73年に消息を絶ち、82年にアンコールワットに程近い村で、遺体で発見された。
彼は、戦場で幸せを感じていた。
今日も秋晴れで、太陽が温かい。
幸せを感じて、本日も精一杯生きよう。
それでは。

2007年11月2日金曜日

ムツゴロウ


この距離なのに、埋まる。

夜、島原に入る。
温泉に入り、道の駅で寝る。
朝、太陽の光が射し込む。
車から出ると、ソイツはいた。
青空に負けぬ存在感の、雲仙岳。
道の駅内にある、土石流にのみ込まれた家屋に驚く。
雲仙岳から、かなり距離があるので、この家屋は移動したのだろうと思っていたのだが、ここまで本当に流れて来ていた。
そして、山に。
煙と硫黄の臭いの雲仙地獄をドライブ。
サッカー少年だった僕には、気になる場所がある。
今年は、県大会で負けてしまったのだが、去年まで22年連続で全国大会に出場していた、国見高校だ。
街に入ると、街灯がサッカーボール。
小さな街の誇りなのだろう。
その後、有明海を鹿島まで行く。
鹿島の道の駅で、干潟に黄昏る。
ムツゴロウが跳ねる。
ボーッと眺める。
もう少し早い時期なら、
「ガタスキー」
と言って、干潟で泥スキーが出来たんだと。
泥んこサッカー大好きな僕は、ちょっと残念。
本当に、色んな顔を見せてくれる。
この国は。

2007年11月1日木曜日

太っちょ

平和祈念像

佐世保バーガーを食らう。
デカイ。
中々、飲み込めない。
やっとの事で、太っちょバーガーを、食べ終わる。
味は、美味しい。
で、ハウステンボスに向かう。
どんな所か知らぬまま到着。
遊園地というか、テーマパークだったので、今回は行かず、長崎市街に向かう。
南蛮文化の匂いがする街。
出島に、教会、その他諸々。
だがやっぱり、この街は忘れる事が出来ない傷がある。
「太っちょ」
という、爆弾が落ちた。
資料館にて、色々見る。
知らない事が多すぎ。
グサリと胸に刺さる。
初の長崎チャンポンを食べ、野菜モリモリで美味しくて、ちょっと元気が出る。
精一杯生きよう。
それだけ。